中学受験①

 小学校四年生のとき地元の小学校でミニバスケチームが立ち上がった。


その頃スラムダンクにどはまりしていた私は


初期メンバーとしてすぐ手をあげた


母はしぶっていたが、お願いしてつづけたら意外にすんなり認めてくれた。


そこからはどっぷりバスケ漬け


もちろん習い事はつづけていたが習字硬筆、水泳の習い事はさぼりがちになった。


チームも波にのりチームメイトと毎日あそび


楽しいことで幸せだった



小学校四年の夏、母があるテストをうけるようにいってきた


日能研の入学テスト


それまで中学校受験の受の字も考えてなかった私は


いままでの習い事のような感覚で


はいはいわかりましたちょろっと受けますよーという感じで気軽にうけた


小学校のテストと毛色のまったく違ったテストで


はじめてテストでとけなかった…という手ごたえをうけた。


結果はよくわからなかったが、気づけば日能研に通うことになっていた


テストがよかったのかわからないが栄冠クラススタート


それまで優秀街道をはしってきた私はやっぱりここでも一番上だなと思った


バスケして、いままでの習い事のようにちょろっと日能研に通うか…


というはじまり

幼少期④

ここまでは、ただ習い事をいっぱいさせてるだけで、全然教育ママじゃないじゃん。と思うだろう。


少なくとも小学校三年生までは私は楽しかった。


小学校でわからない授業はなかったし、


まわりからは優秀扱いされた。


チャレンジも公文も嫌いではなかったし


小学校に入ってからさらに習字硬筆、テニスと習い事がふえ


多忙な毎日だったが、友達と遊ぶこともできたし、なにかを制限されたこともなかった。



私が小さい頃から続けていてよかったなと思うことは読書。


家には物心ついた頃から大量の本があり、いつも寝る前には本を読んでもらっていた。


週末には県立図書館、市立図書館にいき、大量の本を借りてきた。


この習慣で小学校の図書室で毎日本をかり、

小学校三年生までは貸し出しランキング一位だった。


昔から本を読む習慣があって本が好きになったのか、本が好きで本を読む習慣ができたのかわからないが、


この読書好きは後々非常に役に立つ


国語に関しては一切勉強したことがない


でも非常に得意分野であった。


国語に関しては勉強をしても伸ばしにくい分野だし


センスがある部分もある


大学受験になるとセンター国語はすてて受験したという同級生もいっぱいいる


一切勉強せずに高得点をとれるというのは非常に有利に働いた


本を読んでいるだけでこの国語センスは磨かれると思う


別に難しい文学を読んでいたわけでもなく


かいけつゾロリとか、こまったさんシリーズとかみんなが読むやつを好んで読んでいた


ただ私の弟は同じ環境で育ったが、読書好きにはならず、国語を非常に不得意としていた


本がただいっぱいあればいいわけでもなく


本を無理矢理読ませるのでもなく


本を読むのを好きにさせることが一番大事だと思う。


幼少期からの英語教育より将来的に役に立つ気がする

幼少期③

 小学校入学した後、私は相変わらず、ピアノ、公文、英語、水泳に加えチャレンジをしていました。


公文は国語、英語、算数をしており、できるようになったらどんどん先にすすんでいくため、入学した段階で、小学校三年生レベルの計算、英語はできていました。


なので授業、テストで困ることはまったくなかったです・。


また公文では算数、英語では主に英単語、和訳、計算のスピードだけが養われます。
長い文章題であったり、リスニングや英語の文章を書いたりなどはあまりしません。


とくに算数はひたすら計算、計算です。


そろばんはならったことがないですが、公文のおかげで、計算のスピードだけは異常にはやく、大学受験まで役に立ちました。


また、母の教育方針でこどもチャレンジも一学年上のものをやっていました。
ただ、こどもチャレンジはこどものやる気をのばすためか。遊び要素が多く(地図記号スタンプとか算数ビデオとか…)、その遊び要素ばかりしていて、まじめに中身は解いていませんでした。


だからこどもチャレンジをやっていてよかった!感じはあまりうけなかったです。
かける値段に対して、教育っぽいおもちゃが増えていくようなイメージです。
まじめにやっていたら、もう少し違ったイメージになっていたでしょうか…


とりあえず、学校教育より、先に教育されていた私にとって、学校の授業なんて聞く必要もない、取るに足らないものだったのです。


この授業態度はこの後もずーっと続いていきます。