中学受験④

 四年生の半ばから通いはじめた日能研ですが、その前にはいったスポーツ少年団のバスケは続けていました。


というか、塾よりもバスケのほうが圧倒的に好きだったので、


将来はバスケ選手になるという目標をその頃はたてていました。


なので、塾は片手間、親がいうからいく。というスタンスでした。


そんなスタンスで通っていましたが、公文やチャレンジで一年先をすすんでいたアドバンテージのおかげで、トップクラスはキープし続けていました。
相変わらず、クラスの半ばくらいの順位でしたが。。


あと、読書量のおかげで、国語だけはいつもクラストップでした。


これに関してはまったく勉強せずに点を稼げたので、とてもありがたかったです。
あと先に塾に入ろうが、後に入ろうが、国語に関してはあまり関係ありません。


それほど伸ばしにくい教科だし、逆に得意にすればとても強みのある教科です。


いまでこそ、理数系になった私ですが、小学校の算数に関してはとても苦手でした。


まず小学校でいっさいならっていない解き方がでてくる。


旅人算であったり、つるかめ算、時計算、、、


これは中学受験特有の算数であり、中学受験をしない人はいっさい使わない、小学校でも習わないです。


なので、大学に入ってから中学受験の家庭教師をするにあたっては、やはり中学受験の経験がないと算数を教えることが難しくなってきます。


中学に入るとすぐにX、Yを使いだしますが、それらを一切使わない算数は私にとって未知であり、ちんぷんかんぷんでした。


日能研で算数で一番になったことはありません。


あまり成績の伸びない私に母はだんだんと不満を募らせるようになります。
それまで100点が当たり前だったのに、算数で平均点がとれなかったりするようになったのですから。


母は中学受験をしていなかったので、塾の回答を見ながら教えていましたが、
いかんせんX、Yを使わずに解かなければならない算数に
母も非常に苦戦していました。


私に教えてくれようとしましたが、理解できない私になんでわからないのとイライラが募るばっかりでした。

中学受験③

 日能研にはいってみたはものの、最初のテストで撃沈したわたしですが、
べつに悔しい…もっと上を目指さなきゃとかはあまりおもっていませんでした。


というのも明確な目標がなかったから…


地元で中学受験していくところは複数ありましたが、有名なところは男子校しかなく、あとはまあまあな私立と国立中学校くらいでした。



小さいころから周りに医者になるといわれて育ってきた私は、将来は医者になるんだという夢はありましたが、


それが中学受験とはまったくつながっていませんでした。


母も、とりあえず塾にいれてはみたものの、特に有名な中学校がなかったためか


とりあえず塾で一番を


という目標をたてたようです。(特に聞いてはいませんが、その後の行動からなんとなく…)


だから私がうける中学校を決めたのは小学校六年生の秋で、
それまではなんの目標もなく塾に通っていました。
なので通わされている感じが強かったです。


大学入学後、中学校受験専門の家庭教師をしていましたが、


地元に有名中学校もあるからか


絶対ここに入りたい、お母さんがここがいいっていうからこの学校にいきたい


と割と目標をもって塾にいっている子たちばっかりでした。


だからそれ用の対策もできたし、頑張ったらこの学校で、こんなことしよう
と楽しみもできていたようです。


大学の同級生、現役入学の人たちも


自ら目標中学校、目標高校をたて(まあここには親のささやきもあったと思いますが)


自らそのために塾にいき、受験をしたという人も多かったです。


私には自分で塾を希望するなんて信じられませんでしたが…
こういうところから塾に通うスタンスがかわってくるのかなと思いました。

中学受験②

前のものを見返さず、気分でつらつらと書いていたので、


突然ですます調から変化していて自分でびっくりしました。




よみにくくてすいません。また間があいたら忘れてしまうと思います。




日能研の栄冠クラスと書きましたが、今は栄冠クラスという呼び名はないんですね。とりあえず、一番上のクラスでした。


日能研に入ってうけた衝撃が、私の勉強が周りより遅れているということでした。


みんなは三年、または四年の最初から入塾しており、四年生の半ばに入った私は、最初授業がよくわかりませんでした。


国語は問題なかったのですが、算数は計算ばっかりやってきた私にとっては謎の文章題ばかり。
一番遅れたと思ったのは社会でした。


みな日本地図のすべての県名をたたきこんでいました。


それまで小学校の授業で、県の形を見てどこの県か答えたり、県庁所在地を答えたりする問題はありませんでした。


急いで遅れないように覚えましたが、やはり周りとはスタートが遅く


最初のテストではクラスの上から15番目くらい


成績順に席につくという恐ろしいシステムで、三列目になりました。


いままで学校のテストは当たり前に100点、優秀だった私はびっくりしました。


私より焦ったのは母だったのでしょう。


そこから教育ママの本気がはじまりました。