中学受験⑧

 小学校五年生はなんだかんだいって、一番上のクラスを保ち続けていました。


日能研は全国テスト、カリキュラムテストの成績で簡単に上下のクラスの入れ替えがおこるため、この前までトップクラスにいた子が二番目のクラスに落ちちゃったね。というのはざらでした。


ただやはり、五年生の終わりくらいになるとトップクラスのメンバーはほとんど入れ替えがなくなってきます。みんな安定した成績をとるから。


逆にいえば、下のクラスから上のクラスにあがることは、良い成績を一回だけでなく、何回か出し続けることが必要なため、難しくなってきます。


なので勝負は五年生のはじめくらいですかね。そこからトップクラスの常連になれば、そのまま安定した成績を出していれば落ちることはあまりないです。
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逆に下のクラスにいて、六年生の受験までになんとか上のクラスにあがればいいやと思っていてもなかなか難しい。
トップクラスは、難関私立に絞って他のクラスと授業の中身、密度が上級生になるにつれ、変わってくるため、しらずしらずのうちに差がひらいてきます。


なので、塾に入ったら、早めにトップクラスを狙い、そのままキープすることが、一番安定した受験ができる気がします。


そんな私も一回だけ、下のクラスに落ちたことがあります。 苦手の算数でまったく点数がとれず、入校して以来初めて、二番目のクラスにいれられました。


クラスが落ちたショックより、親に怒られるというショック、どんな顔をして成績をみせればいいのかと、親のことしかかんがえていませんでした。


案の定、その成績をもって帰った日は激怒。


塾の帰りに迎えにきてもらった車に入った瞬間、テストの成績をみせるよう要求され
しぶしぶ見せると大激怒


たたかれ、つねられ、は日常でしたが、


その日はついに公園にすてられました。


塾帰りの夜九時くらいに、こんな成績をとるようなやつは家の子供じゃない
でていけといわれ、公園で車を降ろされる。


途方にくれた私はとりあえず泣きながらブランコをしていましたが、
この日のことを、その後15年間はこう思い続けます。


なんで私はあのときあの公園から逃げ出さなかったのだろう
なぜおとなしく公園にいたのか
あの時逃げ出していれば、今こんな苦しい思いはしてなかったかもしれない


大学受験までの15年間、ずっとこの日、家から本気で逃げ出さなかったことを後悔していました。なぜあのとき私はあの親が迎えにくると思って、すがってしまったのか。と小学生時代の自分を恨んでいました。



小学生時代の私にとってはどんなに怒られようが、親がすべてであり、結局は迎えにくるまでブランコを泣きながらこぎ続けていました。