中学受験⑩

 受験シーズンにはいったとき、はじめて志望校をどこにするか考えはじめました。


でも私は別に受験したくなかったし、いまのバスケチームメンバーと、地元の中学校にいってバスケをしたいというのが一番の希望でした。


私の地元には、全国的に有名な中高一貫私立というものはなく、国立の附属中学校にいくか、よくある小さな私立にいくのが受験の選択肢でした。


男子校では超有名私立があったため、塾の同じクラスの男子たちはみなそこを目指している感じでした。


その中でトップ争いをしていた私にとって、国立の附属中学、近くの私立も余裕で受かる範囲であり、まったくやる気はありませんでした。


ただただ親におこられないための勉強をしていました。


我が家の勉強スタイルは、基本的に親がずっと見張っている形式。
塾の宿題であったり、問題集であったりを解いている姿を親がずっと見張っているスタイルでした。


だから基本的に家にかえってから寝るまで、少しの休憩時間をのぞけば勉強をしている感じでした。
ただ、問題に関してわからないことを親に聞くことはあまりありませんでした。


理科、社会に関しては基本暗記であるし、覚えればいいだけのこと。
国語はまったく勉強しないスタイル
算数に関しては、小学校受験をしていない親にとっては教えるのが難しいため、親も説明がわからないというパターンが多く、結局自分で回答をみて納得するという形でした。


大学生になって中学受験をする子供たちの多くを家庭教師したことがありますが、やはり一番子供が理解に苦しむのが、算数です。
親も教えられないといって家庭教師に頼んできます。
教えられないからぱっと答えをみせるだけでは意味がありません。
子供はわかったと納得しますが、実際解答をみて、解き方をみたら、計算は簡単にできるので、だれでもわかります。


大事なのはなぜこの問題でその解き方を使うのか


と理解すること。
私が家庭教師をしたときには、まず、目の前でとりあえず問題解かしてみました。
まったくできなかったときは、その解き方に誘導するヒントを一つ与えてとかしてみる。
間違った方向にすすんでも、突き当たるまで見守ります。
すぐ解答や解き方を教えることはしません。
どんだけ時間がかかっても、少しずつヒントを与え、あくまでも自分で回答、解き方を見つけ出させます。


すぐ解答をみせるやり方では、できた、納得した気になるばかりで、実際身にはなにもついていません。


私の小学校のころはすぐ解答をみてしまうスタイルだったので、すべての問題に簡単に納得し、これだったら解ける気になってしまっていました。


なので算数に関してはずっと不安定な点数ばっかりで、安定した点数はとれませんでした。

中学受験⑨

 日能研に通いはじめて、明確に成績への順位がつくことによって母は変わりました。
一番、百点ではないと許されない。そんな世界が始まりました。


テストの成績が出る日は、塾に向かう車の後部座席にのっていつも神様に祈っていました。
神様、どうかどうかいい成績でありますように。


でもいつも一番をとれるわけではないし、成績ががくんと落ちるときがあります。


塾がおわって成績をもって車にのると、私はいつも運転席の真後ろにすわります。


そこが一番運転席から遠くて、顔をあわせなくてすむから。


成績を渡すと親は一瞥し、成績がおちたこと、一番ではなかったことを怒ります。


運転しながらも運転席から手がのびてきて、叩かれて、つねられて。
痛いは痛いけれども、物理的な痛みよりも、また怒られた悲しみ、親にののしられる苦しみでいつも泣いていました。


そして神様なんていないんだと子供心に悟っていました。
いまでも運転席の真後ろの席は苦手です。


中学受験のためというより、親に怒られないように勉強していました。


このころの私の唯一の楽しみがバスケでした。


塾でどんだけ怒られようが、バスケにいけたら楽しかった。
親はなぜかバスケだけは続けさせてくれました。


もちろん試合とテストがかぶったらテストが優先ですが、テストがおわったら試合に連れて行ってくれました。
このことは感謝しています。


小学校時代は、母はいつもいっていました。中学にいったら、塾にはいかなくていいし、好きなバスケ部もあるから自由にバスケできるよ


毎週のテストで怒られ続けながら、この言葉を希望に小学校六年生、受験シーズンにはいりました。

中学受験⑧

 小学校五年生はなんだかんだいって、一番上のクラスを保ち続けていました。


日能研は全国テスト、カリキュラムテストの成績で簡単に上下のクラスの入れ替えがおこるため、この前までトップクラスにいた子が二番目のクラスに落ちちゃったね。というのはざらでした。


ただやはり、五年生の終わりくらいになるとトップクラスのメンバーはほとんど入れ替えがなくなってきます。みんな安定した成績をとるから。


逆にいえば、下のクラスから上のクラスにあがることは、良い成績を一回だけでなく、何回か出し続けることが必要なため、難しくなってきます。


なので勝負は五年生のはじめくらいですかね。そこからトップクラスの常連になれば、そのまま安定した成績を出していれば落ちることはあまりないです。
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逆に下のクラスにいて、六年生の受験までになんとか上のクラスにあがればいいやと思っていてもなかなか難しい。
トップクラスは、難関私立に絞って他のクラスと授業の中身、密度が上級生になるにつれ、変わってくるため、しらずしらずのうちに差がひらいてきます。


なので、塾に入ったら、早めにトップクラスを狙い、そのままキープすることが、一番安定した受験ができる気がします。


そんな私も一回だけ、下のクラスに落ちたことがあります。 苦手の算数でまったく点数がとれず、入校して以来初めて、二番目のクラスにいれられました。


クラスが落ちたショックより、親に怒られるというショック、どんな顔をして成績をみせればいいのかと、親のことしかかんがえていませんでした。


案の定、その成績をもって帰った日は激怒。


塾の帰りに迎えにきてもらった車に入った瞬間、テストの成績をみせるよう要求され
しぶしぶ見せると大激怒


たたかれ、つねられ、は日常でしたが、


その日はついに公園にすてられました。


塾帰りの夜九時くらいに、こんな成績をとるようなやつは家の子供じゃない
でていけといわれ、公園で車を降ろされる。


途方にくれた私はとりあえず泣きながらブランコをしていましたが、
この日のことを、その後15年間はこう思い続けます。


なんで私はあのときあの公園から逃げ出さなかったのだろう
なぜおとなしく公園にいたのか
あの時逃げ出していれば、今こんな苦しい思いはしてなかったかもしれない


大学受験までの15年間、ずっとこの日、家から本気で逃げ出さなかったことを後悔していました。なぜあのとき私はあの親が迎えにくると思って、すがってしまったのか。と小学生時代の自分を恨んでいました。



小学生時代の私にとってはどんなに怒られようが、親がすべてであり、結局は迎えにくるまでブランコを泣きながらこぎ続けていました。