中学受験⑨

 日能研に通いはじめて、明確に成績への順位がつくことによって母は変わりました。
一番、百点ではないと許されない。そんな世界が始まりました。


テストの成績が出る日は、塾に向かう車の後部座席にのっていつも神様に祈っていました。
神様、どうかどうかいい成績でありますように。


でもいつも一番をとれるわけではないし、成績ががくんと落ちるときがあります。


塾がおわって成績をもって車にのると、私はいつも運転席の真後ろにすわります。


そこが一番運転席から遠くて、顔をあわせなくてすむから。


成績を渡すと親は一瞥し、成績がおちたこと、一番ではなかったことを怒ります。


運転しながらも運転席から手がのびてきて、叩かれて、つねられて。
痛いは痛いけれども、物理的な痛みよりも、また怒られた悲しみ、親にののしられる苦しみでいつも泣いていました。


そして神様なんていないんだと子供心に悟っていました。
いまでも運転席の真後ろの席は苦手です。


中学受験のためというより、親に怒られないように勉強していました。


このころの私の唯一の楽しみがバスケでした。


塾でどんだけ怒られようが、バスケにいけたら楽しかった。
親はなぜかバスケだけは続けさせてくれました。


もちろん試合とテストがかぶったらテストが優先ですが、テストがおわったら試合に連れて行ってくれました。
このことは感謝しています。


小学校時代は、母はいつもいっていました。中学にいったら、塾にはいかなくていいし、好きなバスケ部もあるから自由にバスケできるよ


毎週のテストで怒られ続けながら、この言葉を希望に小学校六年生、受験シーズンにはいりました。