中学受験⑦

 前回のテレビの話の続きですが、


受験時にテレビは禁止した方がいいのか?


まずそういう考えになった時点で、本気で子供に目指す大学にいってほしい、目指す職業になってほしいなら禁止したほうがいいと思います。


子供が自主的に勉強する意欲を持ってるところ、子供が自分で頑張ろうという家庭は
テレビは一時間だけ、などというルールを決めるとしっかり守ります。
禁止させなきゃ と親が思うまでもなく、子供は自主的にやるでしょう。


私の同級生にも、親にテレビや漫画、ゲームを禁止されていない家庭も多いです。
そういう人はおもに現役で合格しています。


ただやはり徹底的に禁止されていたというところもあります。
私もそうですが。。


禁止された家庭で育ちましたが、別に同級生との話題でこまることもなかったし、最近のニュースなどは新聞や塾の対策で、しっかりやります。
そもそも子供はニュースなんてみないし。


禁止するなら禁止にしてもいいと思います。


ただし禁止したところで、子供はずるがしこいので絶対こっそり見ます。
それとどこまで戦うか。
やるなら親も本気でやらなければもっとも中途半端なことになります。


勉強のやる気はなく、勉強をやらせられた恨み、あらゆるものを禁止された恨みだけが残り、ずるがしこく成績を偽る術だけがつく。
最終的には中途半端。


私も親が手をゆるめなかったら、そうなっていたでしょう。
ありがたい?ことに徹底的な教育ママだったので、中途半端な成績にはなりませんでした。


子に見させないなら、親も見ない。テレビを捨てるくらいの徹底ぶりではないと意味がないと思います。
それができないなら、中途半端に禁止する意味はなし。
禁止するより子供の自主性、自尊心をくすぐる方がよっぽどいい。


教育も、親が干渉するなら徹底的に。
だが徹底的に干渉すると成功するのか?親の希望する職業になったことが成功といえるのか?
私の教育ママ体験記はまだまだ序盤です。

中学受験⑥

 いよいよ日能研も五年生になると本格的に受験を意識した授業、テストがはいってきます。
でもバスケでもだんだん試合にでれるようになった私は、合宿やら遠征やらでバスケの方も忙しくなってきました。


 最初はバスケの試合があるときはバスケのほうを優先していましたが、だんだん母の方針は変わってきて、塾のテスト、塾の授業を優先させるようになってきました。


この頃から私は塾に対して不満をもっていました。別に対していきたい中学はないし、大好きなバスケを犠牲にしてまで、塾に行きたくなかったです。


 しかしやはり権力をもっているのは母であり、塾がない日にしかバスケに行くことができなくなりました。


この頃になると週2日くらい授業、週末はテストという日程になってくるため習い事もなかなかできなくなり、このあたりで、公文や習字硬筆、水泳、英語教室といった習い事はあらかたやめました。というかやめさせられました。


別にそこまで強い思い入れはなかったので、いかなくてよくなったラッキーくらいでしたが、バスケをやめさせらることだけは嫌だったので、バスケだけはいかせてくれるようお願いしていました。


また、友達の家に遊びに行くことも禁止(まあ時間的にいくのは厳しかったですが)
家での空いた時間はひたすら勉強かピアノの練習
という風にあからさまに勉強しなさい!な雰囲気に変わってきました。


ここで勃発するのがテレビ戦争。我が家では、ゲーム、漫画はもちろん禁止であったので、テレビのみが唯一の娯楽でした。
受験家庭ではおおかたテレビ見る見ないで争うと思います。
我が家では小学校三年生くらいまでは普通に自由にテレビを見ることができました。
(スラムダンクやセーラームーンを夜に見ていた気がします)
小学校四年生くらいになると、夜ごはんを食べている時間だけOK
五年生になると基本テレビ禁止。勉強のみ。
なので当然母がいない時間にテレビをみるしかありません。


母は仕事をしていたので、基本6時に帰宅。それまでに塾の宿題、学校の宿題、チャレンジなどを終わらせていなければなりません。


まあ学校の宿題なんてあってないようなものだし、チャレンジや塾の宿題は答えを写せば一瞬です (←親がいついつまでに絶対これを終わらせなさい!と命令すると大体やるのが答えを写すこと。答えを隠したって無駄です。探し出します。)


一瞬でやることを終わらせたら、ページを開きっぱなしにして (←これは親が帰ってきた瞬間に勉強していました体勢をとるため)


弟と私は交代で一人は見張り(我が家は二階から駐車場がみえました。)に、一人はテレビをつけます。


六時までぎりぎりテレビをみて、駐車場に車がみえた瞬間、消して勉強体制に入ります。
あたかも勉強してました風に。


そうするとだんだん親も あ、こいつらテレビみてたなってわかってきます。
なぜならテレビがあったかいから。(昔のテレビは分厚くて、天井を触ると熱をもってました)


そうなると我々も対策します。アイスノンで、そこを冷やしながらみます。


次に親はテレビを消した直後の、画面の静電気で見ていたことをしります。


そうなると我々は、アイスノンで冷やしながら、消した直後に画面をふき取るようになります。


攻防が激しくなると、電源コードが抜かれます。


見つけてさします。


テレビの前に紙が貼られます。


はがしてみます。


ずーっとこの攻防が繰り広げられ、我が家のテレビは最終的に段ボールの中に納められます。
弟が大学に入学するまで、我が家のテレビと対面することはありませんでした。

中学受験⑤

 国語は大得意、算数は苦手といいましたが、理科社会はどうだったのでしょうか。


理科、社会に関しては中学校受験はひたすら知識です。
その点、スタートがやや遅れた私は最初は微妙に不利でした。


小学校の授業や、チャレンジでならっていたことよりも圧倒的に深く広い知識が必要とされ、


公文ではもちろん理科社会なんてやらないので、最初の理科社会の成績はあまり伸びなかったです。


でも小学生ですから、理科、社会のただ知識をつける勉強なんてまったくおもしろくありません。
それよりもバスケがうまくなりたい。
知識を覚えるなんて勉強はまったく楽しくありませんでした。


ただ日能研の先生はそんな小学生のやる気のなさもお見通しで
さすがはプロ、
授業はめちゃめちゃおもしろかったです。


ただ単純に覚える部分では歌にしてみたり、おもしろエピソードを交えてみたり


なので授業を聞いてるだけでかなり身につきました。


植物の双子葉類、単子葉類、節足動物などの知識はこのころからずっと根深く残っていて
大学受験センター生物にも意外に通じるものがありました。


歴史の年表なんかも覚えなければなりません。


母は紙に書いてひたすら覚えろ方式でしたが、
そんなのまったく楽しくありません。


役に立ったのが、年表をギャグを交えて歌にしたCD。
弟とひたすらこれを聴いて、なんとなく覚えました。


この歌はいまでも少し歌えたりできます。


とにかく小学生に対して、暗記モノは紙にかく、ひたすら繰り返し覚えるなんてまったく楽しくありません。
そんなので無理やり覚えた記憶は一瞬で消え去ります。


なんの意味もなさそうな、おもしろい年表ゲームとか、くだらないグッズとかを使うほうが意外に楽しく覚えられたりします。


今うんこドリルが流行っているときいたことがありますが、そんなくだらないことにしか興味をもてないのが小学生です。


母は小学校受験をしていないので、こういったノウハウが分かっていなかったのでしょう。
ひたすら家で暗記しろ、なんで覚えていないの、と怒られるスタイルでした。